訪れたのは平生町にある『阿多田交流館』、人間魚雷「回天」平生基地の資料などが展示されているところです。実は自宅から車で5分の場所にあります、近いとなかなか行かないものですねー😅 回天の基地といえば周南市の大津島がよく知られていると思いますが、私の住んでいる平生町にも訓練基地が日米開戦の翌々年1943年(昭和18年)に作られました。古墳が点在する平生湾の出口、阿多田島から神花山周辺一体の住民全てを強制立退させての事でした。約100世帯ほどが立ち退いたのだそうです。我が家はその内の一つでした。(この辺りの逸話はほんの少し、我が家に口伝で語り継がれております。) 先の大戦については色々なご意見があろうかと思います。私も不勉強で、情けないことに詳しいことは分かりません。ですが、二十歳前後の人生で一番楽しい時期を捧げ、散っていった日本の若者がいたことは事実です。 この基地での回天での戦死者は9名、そのうち5名が特攻の結果戦死されています。場所は全て沖縄でした。そして特攻隊長の橋口大尉は終戦後の8月18日、自分が乗るはずだった回天の運転席で自決されていたそうです。享年21歳でした。なお、この数に潜水艦撃沈による乗組員の戦死は含まれていません。 一口で感想を言うことなど到底難しく、また再度訪問したいと思いました。 少し嬉しかったのはいつもは駐車場に停まっている車を見ることがあまりないのですが、終戦の日だからか、まばらではありましたが訪れる人が割といた事です。 生き証人がいなくなる中、少しでも関心を持ってくれる人がいるのは嬉しい事ですね。